Shanghai 2007

旅日記 2日目(2007/05/01)-05

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豫園は、とにかくものすごい人だった。
左の写真は、先程の茶館から豫園の入口へ向かう九曲橋を撮ったものなのだけれど、橋はまさに、すし詰め状態で、身動きできないくらいだった。

その『すし詰め』の観光客の中には西洋人もいたし、多分日本人もたくさんいたと思うのだけれど、一番多いのは中国の人たちだった。

中国の人達は、カメラを片手に、どんなところでも立ち止まって写真を撮り、本当にうれしそうな顔をしていた。
日本では混んだ場所へ行くと、その混雑ぶりに不機嫌な顔になってしまう人がいるものだけれど、この人たちは、田舎から上海に遊びに来ているのか、一生に一度の旅行ってことはないのだろうけど、本当にうれしくてしょうがない!といった様子だった。
それなので、ものすごく混んだ中にいても、私たちまで幸せな気分になってきた。

そんな幸せオーラが満ち溢れた橋を、のろのろと進み、なんとかチケット売り場までたどり着き、チケットを購入し中へ入った。

豫園の中は、それなりに人がいたけれど、混み合っているというほどではなかった。橋に比べたら庭園は広いから…なのかもしいれないし、中国の人の中には、入口で写真だけ撮って帰ってしまった人達もいた

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ので、どんなに混雑した時期でも、有料な施設の中は比較的空いているものなのかもしれない。(前日の、外灘観光隧道もしかり。)

豫園というのは、ものすご〜く大きな庭園(2万平米とのこと)なのだけれど、明の時代に造られた私庭なのだそうだ。

... 歴史に疎い私にとっては、明の時代というと『ものすご〜く昔だよね?』という感じなのだけれど、その頃の日本は、室町幕府の時代(16世紀)になるらしい。
…って、やはり『ものすご〜く昔』って感じしか分からないけど(歴史、弱いんです)、その当時は、今の2.5倍くらいの広さがあり、その後、庭園の管理者が変わり、18世紀に楼閣などが建設され、19世紀には破壊が進み、20世紀に入って修復されたという、長い歴史のある庭園なのだそうだ。
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まず入口を入るとすぐにあるのは、三穂堂という建物で、ここでは、清の時代に祝典を行なう場所だったのだそうだ。
美しいレリーフが施された回廊などが美しかった。

→ まだまだ豫園


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