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 Spain 2007

旅日記 1日目(2006/12/29)-01

出発日。
家で支度をしながらつけたテレビには猛吹雪の中の空港の映像が。
どこの雪国?と思ってみると、それはなんと これから向かうセントレア。

なんじゃこりゃ〜?と松田優作ばりに驚きつつも(古っ)、家の窓からみた風景は雪がチラホラ舞う程度だったので、「まぁ大丈夫だろう」とそれ程心配せず空港に向かい、チェックインを済ませ、出国審査を終えゲートに向かうと、出発が近づいているであろう他の各便で「出発が遅れます」のアナウンスが。
当然私達が乗る予定だった10時発パリ行きの便も「予定機材が雪のため関空へ向かったため出発が遅れます」とのアナウンスが入った。

その後も天候はどんどん悪化してきていたけれど、欠航というアナウンスはなく、私達が乗る予定の便も、その他の便もみな「出発が遅れる見込みです」という録音風のアナウンスがかかるのみ。(見込みって、もう十分遅れてますって。)
こうして、3時間半強。
お昼が近づいてくると、各航空会社では、「遅れて申し訳ありません。ご昼食をご用意致しましたので、搭乗口までお集まりください」というようなアナウンスが流れ始めたのだけれど、私達が乗る予定のJALからは、そんなアナウンスがなかった。

私達もお腹が空いてきたので、お昼を食べに行くことにしたのだけれど、もしかしたらJALからお昼が出るかな?と思い搭乗口にいた係の人に確認すると「申し訳ありませんが…」という答えが返ってきた。
係の人は「上で検討しているのですが」と言っていたけれど、この遅延は気象状況のせいであって、JALのせいではないし、(この当時は)経営も厳しいし、JALは食事を出さないんだろうなと納得し自腹でお昼を食べに行くことにした。

しかし出国審査を受けた後のスペースにレストランはなかったため(←2006年末時点、今は違うかも)、スタンド式のスターバックスでサンドイッチやマフィンを購入し、またベンチに戻ってそこで食事をとった。

その後、雪は一時的に弱まり晴れ間が見えるような時もあったのだけれど、それも一瞬で、すぐにまた吹雪になってしまっていた。
そして他の便だけれど、次々と「欠航となりました」というアナウンスが流れ始めた。

もしかしてこれはかなりヤバイ状況かもと脅えていると、私達が乗る便の番号が告げられ「とうとうアウトかぁ〜」と思ったのだけれど、『昼食を出します』とのこと。
昼食はとったばかりだったけれど、二度とない経験だしと(多分…そう思いたい)、搭乗口へ向かうと、免税店などで使える1500円分(一人あたり)の商品券が手渡された。(他社と比較した訳ではないけれど、とても手厚い待遇でした。経営が厳しいから出さないでしょなんて思ってゴメンなさい。)

配布の際「この商品券は、食べ物以外のものにも使える」と説明してくれたので、私達は昼食は食べたばっかりだったので食べ物はいらなかったけれど、せっかくなので何か買おうと免税店を見てみることにした。
結局、二人分の券に少しお金を足してカメラのメディアを購入することにした。(メディアを使う度に「これはあの時の商品券で買ったものだ…」と感慨深かったけれど、いつの間にか私用するカメラのメディアの容量も大きくなってきて、このメディアを使うこともなくなってしまった。)

そんなことをしている間に、次々と欠航のアナウンスが入っていて、添乗員らしき人を怒鳴りつけているおじさんなどもいてかなり修羅場になってきていたので、いたたまれず、既に人がいなくなっているゲートのほうへ移動することにした。

これまで漠然と、飛行機って欠航になってもその後の便に振り替えてもらえるものだと思っていたのだけれど、必ずしも振り替えてもらえる訳ではないのだという衝撃の(…常識の?)事実を知って、ちょっとだけ経験値が上がった。

その他、『ご購入された免税品の返還手続き、出国の取り消し手続きをしていただきます』なんていうアナウンスが入っていて、国際線の場合、そういう手続きが必要になってくるのだということも知った。(知ったとはいえ、この知識を利用する機会はないといいなぁ。)

そんな中、人のいないゲート前のベンチで横になって映画『ターミナル』のトム・ハンクスになった気分になっていると、私達が乗る予定の機材が関空を出発して、セントレアへ向かっているというアナウンスが入った。
私達の便は、なんとか欠航にならずに済んだのだ。

搭乗口が変更になったというアナウンスが入ったので、そちらへ移動すると、ちょうど私達が乗るであろう飛行機が着陸するのが見えた。

まだ空港内に雪は残っていたけれど、空は少しずつ晴れてきていた。
これでなんとか今日中に出発できる。

よくぞ諦めずに来てくれました

変更になった搭乗口で待っている間、係りの人に乗り継ぎ便について聞いてみると、乗り継ぎ便は当然私達を乗せずに出発するということ、その後の便にも間に合わないと思うので、翌日の便に振り替えてくれるという説明があった。
「ということは、パリのホテルは手配してくれるんですか?」と聞くと、『天候での遅延なので、それは出来ません』という答えが返ってきて、さあ大変。

飛行機が飛びそうと喜んだのは一瞬、どうやら夜のシャルル・ド・ゴール空港で、私達はポーンと放り出されてしまうのだ。
パリは今回の目的地ではないため、ガイドブックは持ち合わせておらず、どんなホテルがあるのかも分からない…。

いったいどうするんだろう…空港の案内所で紹介してもらうのかな?とか、混んでいてホテルが取れなかったら空港のベンチで寝るの?とか、思いっきり不安になって、今この待ち時間で何か手を打たねば…と頭をフル回転させ、バルセロナ行きの寝台車に乗れないかなど、いろいろ悪あがきをしていたのだけれど、寝台車の発車時刻に間に合いそうもないということが分かり、それ以上の案は浮かばなかった。フル回転したはずが瞬殺。

もう、運を天に任すしかないか…と諦めつつも、夫が再度係りの人のところへ聞きにいくと、その後『上で検討』されたようで、パリのホテルはJALで手配してくれるということになっていた。(この時点では、ホテル代は自己負担と言われていたけれど、結局ホテル代は負担しなくても良かったし、簡単な夕食と朝食もつけてくれてあった。ありがたい。)

これで空港のベンチで夜明かしするということはなくなったので安心だ。(今、冷静に考えるとパリに着く全ての便が遅延した訳ではないので、全てのホテルが満室という可能性は低かったと思う…実際JALが手配してくれて泊まれた訳だし。)

私はこの夜ホテルに泊まれることになり安心したけれど、夫は観光できる時間を半日ロスするのはもったいないといって、他の航空会社で自腹でもいいので、その日にバルセロナに着ける飛行機があったら、それに振り替えてもらいたいとお願いしていた(手配はパリでするので、そのようなメッセージを入れておきますという回答)。

そうこうして、やっとボーディングの時間になった。
約6時間遅れ。空港には出発予定時刻の2時間くらい前に到着していたので、空港で8時間過ごしたことになる。

→ 次は、やっとパリへ向かいます

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