France 2008

旅日記 3日目(2008/04/28)-09

... 博物館などは、夏期(5月から9月)は19時まで開館しているそうなのだけれど、この日はあいにくまだ4月28日だった。
冬期は17:30で閉館なので、私たちが戻って来たときには、既に閉館していた。

事前に、17:30で閉館という情報は得ていたのだけれど、レストランかお土産物屋さんくらいは、それ以降も営業しているかなぁ〜と淡い期待をもっ

ていたのだけれど、世の中そんなに甘くはなく、お土産物屋さんも閉店準備中だった。

今から、バスの時間まで、1時間以上時間をつぶさないといけなかったのだけれど、雨がだんだん強くなり、寒くなってきてしまった。1時間も外にいたら凍えてしまう(って、さすがに凍える程ではないけれど、ずっと外で立っているのもつらいし・・・)と、周囲をキョロキョロ見渡してみると、先程行ったトイレの近くに、ガランとした空部屋があり、ベンチが置かれているのを発見した。

その部屋に入る扉には鍵もかけられていなくて、自由に入ることが出来たので、この後、ここも閉館だと追い出されてしまうかもしれないけれど、とりあえずそれまでの間は、この中で休むことにした。

その部屋は、先程もらったパンフレットによると、子供を対象としたセミナーのようなものを行なう部屋で、発掘の真似事をするのか、大きなケースに入れられた砂などがあった。
この時間はもう、そういったイベントは終わっていたのだけれど、まだ暖房がかかったままだったので、傘もなく行き場所もない私たちにとっては天国のような空間だった。

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ポン・デュ・ガールを上から下から斜めから撮ってみた
はいそうです、時間が余っていたんです・・・
右下の赤いものは川辺に咲いていた花です。

その部屋のベンチに座って、前の通路を駐車場のほうへ帰っていく人達を眺めて、「あの人達はツアーバスか車なんだねー。あの人達は、ポン・デュ・ガール滞在時間2時間45分なんていう修行みたいなプランじゃないんだろうねー」とか「誰か、『お嬢さん、私たちのツアーバスでアヴィニヨンまでお送りしますよ』なんていう親切な人は現れないもんかねー」なんて話していた。(・・・まぁ根本的に『お嬢さん』じゃないので、無理なんだけど。)

こうして、だんだん話題もなくなってきた頃、行きのバスで一緒だった東洋人の男の人が歩いているのを発見した。
その人も、私たちと同じ様にニームから来てアヴィニヨンに帰るのだろう。
「あの人も今から1時間待つんだねぇ・・・、でも傘を持っているだけ、私たちよりいいよね」なんて話していると、その男性が私たちのいる部屋の扉を開けて「日本の方ですよね?」と話かけてきてくれた。
ちょうど話題もなくなってきていた所で、「後は夫はうたた寝タイムに入って、私一人で時間をつぶさないといけないんだろうな」と思っていたところだったので、大歓迎だった。

そこから、その男性(←バスに乗っていた時から、日本の人かなぁ?どうかな?と思っていたのだけれど、やはり日本の人だった)も、この天国ルーム(本当の名前はリュドというスペース)のベンチに座って、バスの時間を待つことになった。

その男性はとても感じのいい人だったので、いろいろとおしゃべりをしているうちに、バスの時間が近づいてきた。(その男性は、話し相手になってくれただけではなく、空腹な私たちにチョコレートも恵んでくれた。・・・って、食べ物をくれたからいい人と言っている訳ではなく、本当に感じのいい人だったんです。)

その部屋にいる間、写真を撮らなかったので
またしてもポン・デュ・ガール
もう見飽きました?

その男性は、この部屋に来る前に、一度、アヴィニヨンへ行くバス停の場所を確認しに行っていたということで、バス停まで私たちを案内してくれた。
私は往路は『トイレ目指して猛ダッシュ』だったので、バス停からの道をちゃんと覚えていなかったので、案内してもらえて本当に助かった。おまけにその道中は傘にも入れてもらってしまった。(・・・って、私たちは大助かりだったけど、その男性にとっては、ちょっと迷惑な夫婦だった!?)

バス停は、農家のような大きな家の門の前にあって、その門のちょっとした庇で雨をよけながらバスを待った。
定刻を過ぎても、バスがこなかったので、私たち二人だけだったら、「もしかして間違えている?」と不安になったと思うのだけれど、その男性が調べてくれていたおかげで、心配しなくて済んだ。(本当に感謝です。)

バスの予定発車時刻を過ぎてから、もう一人東洋人の男性がバス停にやってきた。
また日本の人かしら?と思ったら、今度は台湾の人だった。
その人は、私たちの1本後のニーム発のバスでポン・デュ・ガールまで来て、走ってポン・デュ・ガールまで行き、写真をバシャバシャ撮って、走って戻ってきたのだそうだ。

時刻表では、私たちの1本後のバスだとポン・デュ・ガール17:53着、ポン・デュ・ガールの滞在時間50分というハードコースだ。
走って戻ってきたと話していたけれど、彼がバス停に戻ってきたのは、アヴィニヨン行きのバスが定刻通り来ていたら乗れなかった時間だったので、やはり滞在時間50分というのは、かなり厳しいプランだったようだ。
私たちは、何十枚もポン・デュ・ガールの写真を撮って、さらに1時間以上も暇つぶしをしなくちゃいけないプランだったけれど、『ゆったりコース』を選んでおいてよかったのかもしれない。
台湾人の男性が現れて、そんな話をしているうちに、アヴィニヨン行きのバスが到着した。

...

来たー!!

 

確かにアヴィニヨン行き

バスが来た瞬間、夫と台湾人の男性が並んで、その瞬間の写真を撮っていた。
結局、ポン・デュ・ガールのバス停から乗ったのは、私たち東洋人4人だけだった。
公共交通機関を利用してポン・デュ・ガールへ行く人は少ないのだろうか。

バスの中でも、4人でおしゃべりするのかなぁ?と思っていたのだけれど、4人ともみんな離れたシートに座った。(私たちも空いていたので、通路を挟んだ隣のシートに別れて座った。)

夫は、バスに乗ってすぐ爆睡していたけれど、私は「この後は、やはり4人で夕飯になるのかなぁ・・・その場合は何語で話すんだろう・・・やっぱり英語かなぁ・・・でも私英語も話せないんだよねぇ・・・」なんて、一人妄想を続けているうちに、バスはアヴィニヨンに近づき、台湾人の男性は、一人先に、運転手さんにお願いして城壁内に入る前の通りで降車していってしまった。(私たちに挨拶はしてくれたけど。)

その後、私たち3人は、城壁内に入った終点で下車し、日本人の男性を夕飯に誘うべきかどうか迷いつつ、それとなく「私たちは今日はベトナム料理を食べに行く予定なんです・・・」と日本人らしくあいまいな誘い方をしてみたのだけれど、男性は、この日は夕飯は食べないかもしれないと言っていたので、その場で別れることにした。
結局、私のバスの中での妄想は、全く実現しなかったけれど、楽しい出会いだった。

こうして、楽しい思い出を胸に(?)、いざ、夕食のお店へと向かうことにした。

→ 次は、夕食


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