Sicilia 2008

旅日記 8日目(2008/01/03)-13

... この近くには、歩いて廻れる距離に遺跡がいくつかあるため、大きな駐車場が整備されている。
考古学博物館を背にし、今歩いてきた通りの右側に駐車場の他、チケット売り場や案内所、カフェやお土産物屋さんなどがあった。
大型の観光バスも何台も停まっていて、様々な国の観光客で賑わっていた。
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私達は、まず最初に、この右側のエリアを見学することにした。
チケット売り場は少し行列ができていた。
私達は、先程、博物館で購入した共通チケットで入場することができるので、そのまま遺跡の入口へと向かった。

まず最初に、瓦礫の山が目に入った。(上の写真)
これは、ジョーヴェ・オリンピコ神殿の廃墟だった。
柱頭などが修復再現されない状態で、そのまま積み重ねられていた。
そして、この奥にまわりこんで行くと、先程博物館で実物をみた、テラモーネ(人像柱)のレプリカが置かれている。

私は、この写真だけ見たことがあって、この像は、こういう寝ている状態で作られたオブジェのようなだと勘違いしていて、博物館に行って初めて、これが柱なのだということを知った。
ジョーヴェ・オリンピコ神殿は、本当に廃墟だけなので、博物館に寄って、この遺跡がどのような形をしていたのか(仮説だけれど)見ていなかったら、瓦礫の山とオブジェ(?)があるのを見て、「なんじゃこりゃ」という感想だけで帰ってしまっていたと思うので(…って、そんな無知な観光客って私くらいでしょうけど)、それだけでも博物館に寄った価値はあった。

ガリバー旅行記風?

ここを見学している間、日本の団体さんも何組か来たのだけれど、みんなこの人像柱をちょっとだけ見て、写真を撮って帰っていってしまっていた。
私達は、少し時間をかけてこの人像柱周辺を見たのだけれど、その後は、団体さんたちと同じ様に、そのまま、ここを出て、通りの反対側の遺跡へ移動しようとしていた。
でも、西洋人の個人旅行風の人達は、ここからUターンして帰らず、さらに奥へと進んでいくので、私達もそれに倣って奥へと行ってみることにした。

この敷地の奥には、4本の円柱が印象的なディオースクリ神殿というものがあった。
この4本の円柱はアグリジェントの市章になっているらしい。
入口ひとつにひとつの神殿かと勘違いしていたので、危うく見落とす所だった。
日本の団体さんは時間の都合があって、この神殿は見学しないで帰っていってしまっただけのようだ。

このディオースクリ神殿は、紀元前5世紀に建てられたもので、19世紀に角の3本の柱が復元されたものだった。(その後、構造上の理由から4本目の柱も付け加えられた。)
神殿廃墟の異なる時代の瓦礫で造られたものだとも言われているそうなのだけれど(実際神殿として建っていた時に、後に手を加えられたものであって、別の建物のものではないという説もあるらしい)、そういう歴史的な詳細は別にしてみれば、その不安定さがとても美しい遺跡だった。

...

ディオースクリ神殿

円形祭壇

そして、このディオースクリ神殿の近くには、円形の祭壇も残っている。
うっかり、人像柱のレプリカ(ガリバー風)だけ見て帰ってしまうところだったのだけれど、奥には、まだまだ見所があったのだ。
夫は「アグリジェントの遺跡の観光の仕方だけは、どんなに調べても分からなかったんだよねー」と気弱につぶやいていた。

→ 次も遺跡見学


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