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Napoli 2019

旅日記 8日目(2019/01/02)-02

スパッカ・ナポリを歩いて昼食のお店を探す。

ちなみにスパッカ・ナポリとは
ナポリを真っ二つに割るという意味なのだそう
2011年/サンテルモ城の城塞から

スパッカ・ナポリを見下ろした写真です
1本の通りが
町を真っ二つに割っているのが分かります

もう14時を過ぎているのだけれど、スパッカ・ナポリのレストランはどこもまだまだ混んでいた。
いくつか調べて来てあったお店があったのだけれど、その中の1軒に辛うじて入ることができた。

とても大きなレストランで数組分のテーブルが置かれた部屋がいくつもあって、私達が通された部屋にはほぼ同じタイミングで10人くらいの団体さんが入っていた。(私達が席に着いた頃注文をしていた。)

私達も料理を注文する。
二人で、前菜1品、パスタ1品、メインの魚料理を1品頼んだのだけれど、前菜がサルシッチャだったのでメインとして肉と魚1品ずつ頼んだと解釈されたようで、最初にパスタが運ばれてきて、後でサルシッチャとメインで頼んだ魚料理が一緒に運ばれてきた。(夫は「そんな深く考えていなくて、単純に出来た順じゃないの?」なんて言っていたけれど。)
ワインは最終日だけれど弾けず(最終日だから弾けられず?)白ワインをカラフェで頼んだ。

 ということで、いきなりパスタ
ボンゴレ・ビアンコ

私達のメインの料理が出てきてもまだ、団体さんの中の1人だけ料理が来ていない人がいた。
他の人が食べ終わる頃になってもまだ来なくて、その人の近くに座っていた人がお店の人に確認していたけれど、手違いがあったのかまだしばらく料理が出てこなかった。
ああいうのは気まずいだろうなーと思ってみていたけれど、意外と誰も気にしていないようだった。私達とは違う感覚なのだろうか。

メインはメカジキ
.
そしてサルシッチャ
サルシッチャがこういう「開き」の状態で
出てくる地域がありますね(南に多い気がする…)
なんでかな?

このレストランはアコーディオン奏者の方たちが席を回ってくるお店だった。
これは間違いなく日本の曲を演奏されちゃうだろうな…と身構えていたのだけれど、同じ部屋の団体さんのノリがすごく良くてターゲットはその団体さんになったおかげで日本の曲の演奏はなかった。

演奏中、団体さんはすごくノリノリだったのだけれど、曲が終わった瞬間スイッチオフになり奏者の人達から視線を外し仲間うちだけの会話に戻っていた。
驚く程の淡白さだった。

数年前の旅行で、町中での演奏を聴いてノリノリになった団体さんが勢いでCDまで買っていたというのを見たことがあったので、今回の団体さんもそういう感じになるんだろうなーと思っていたので、ある意味奏者の方たちより拍子抜けしてしまった。

奏者の方がこちらに来たらチップを渡そうかなと思っていたのだけれど、奏者の人たちも冷めてしまったのか、私達に目礼だけして部屋を出ていってしまった。
私達の予想と違ってびっくりしてしまったけれど、飲食店での演奏の場合はこういうことも珍しくないのだろうか。

なんだか中途半端な感じになってしまったけれど、次の予定の時間が近づいてきたのでデザートなどは食べずにそのままお会計をしてお店を出た。
食事自体は頼んだ料理3品とも味の系統が違っていて楽しめた。

食後は「地下遺跡」を見学に行く。

サン・パオロ・マッジョーレ教会
前回は内部も見学しましたが
今回は外観のみ

サン・パオロ・マッジョーレ教会の近くに地下遺跡の入口がある。
教会の前に長い行列が出来ていて、これは何の行列なんだろうか?と思いつつ進んでいくと列は教会の角を曲がり地下遺跡の入口まで続いていた。
この行列が地下遺跡見学の入場待ちの列だったのだ。

地下遺跡の見学はガイドツアーのみなので調べてあった入場時間に合わせてきたのだけれど、この行列ではその次の回でも入れないかもと思いつつも、とりあえずチケット売り場へ行ってみた。
売り場で聞くと列が出来ているのはイタリア語のガイドツアーで、英語だったら次の回ですぐに入れるという説明だった。
チケットを買った後は行列のほうではなく、教会の横の奥にある入口へ向かうように言われた。

入口へ向かうと、外へ長く伸びる列の横にゴチャゴチャと十数人が集まっていた。
近くにいたパーカーのフードを被った若い男性が「英語でしょ?ここで待っていたらいいんだよ」と教えてくれた。

少しすると、そのパーカーの男性が「英語ツアーの人は自分に続いて入場してください」と声を上げた。
同じツアー参加者の若い男の子かと思っていたらガイドさんだったのだ。

長い階段を下って地下遺跡へ入りました

今から見学するのは「Napoli Sotterranea(ナポリ・ソッテラネア/ナポリの地下)」という遺跡。
ナポリ旧市街の地下約40メートルの深さに広範囲に広がっている。

最初にこの辺りが掘削されたのは約5000年前になるのだそう。
そして古代ギリシャ時代には城壁や神殿などを作るための採石場として地下道が掘られ、その後の古代ローマ時代にはその通路が水路や貯水池として利用され、町中の噴水や家々に水を供給するため、さらに広範囲に分岐していったのだそう。
16世紀になって他の水道橋ができたけれど、20世紀初めまでは水路としての役割を担っていたらしい。
その後、第二次世界大戦下には防空壕として利用されていた。

このガイドツアーではその地下遺跡の一部分を見学することができる。

このフードの男性がガイドさん
すごい場所に立っていますが…

防空壕として利用されていた
大戦時についての展示

.
これは採石場だった時代の様子を再現
.
これは防空壕として使われていた時代のもの
子供の遊具など様々なものが残されていて
ここで人々が長時間過ごしていたことがうかがえます
.
これは突如、現代のもの
地下で植物を育てる研究が行われています

ガイドツアーはさらに地下奥へと進んでいく。

→ 次も、ナポリ・ソッテラネア

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