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Helsinki+Baltic States 2024

ヘルシンキ・バルト三国 旅日記 11日目 - 05

ヴィリニュスの丘の上にあるゲディミナス塔へ上がってみる。
リトアニア国立博物館の隣りに建つ博物館の裏手にあるケーブルカー(リフト)の乗り場へ向かった。

丘に上がるケーブルカーの乗り場から
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実際に乗る乗り物が写っていなかったので、帰りに撮った写真を↓
青色の小さな乗り物です

チケットオフィスへ行ってチケットを購入し、さっそく乗り込んだのだけれど、これは操縦する人がいるタイプではなくエレベーターと同じく内部で自分たちが「上」「下」のボタンを押すと動くタイプで、ケーブルカーというより斜行エレベーターのようなものだった。(地図などに表記されている英語ではLiftとなっていました。)

上りの時は他のお客さんがいたので下りの時に撮った写真ですが、左側にちょっとだけ写っているのが操作盤
扉の開閉ボタン(閉まるはなかったかも)と上下のボタンがあります

小さなカゴですが折りたたみ式の椅子もありました

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これも帰りに撮った写真ですが、上の乗り場から見たケーブルカー(斜行エレベーター)のカゴ
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チケットには「Funicular」とあるのでやはりエレベーターではなくケーブルカーになるのかな?

ケーブルカー(もしくは斜行エレベーター)はすぐに丘の上に到着した。

この丘の上には10世紀頃から城があったとされている。
1316年にリトアニア大公となったゲディミナスが1323年にヴィリニュスに遷都し、城も拡張されることになり木造の要塞が築かれた。
その後1409年にはレンガ造の要塞に造り替えられている。
そして丘の上には3つの塔と城壁が造られ上宮(上の城)と呼ばれ、その下には宮殿や礼拝堂や庭園などが整備され下宮(下の城)とよばれ城塞群として発展していったのだけれど、下宮が城の中心になり上宮は16世紀に入って整備されることはなくなっていった。
1655年にロシアが侵攻してきて大きな被害を受けた際も上宮は再建されることはなく、下宮も19世紀に入りロシアに占領された後にほとんどが壊されてしまった。

上宮があった丘の上には西の塔と城壁の一部が残っている。
塔は1930年から再建され3階建ての現在の姿となり、ヴィリニュスに遷都した大公の名にちなみゲディミナス塔と呼ばれている。

ゲディミナス塔
内部は博物館になっているそうですが、見学しませんでした

国旗が掲揚されています

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丘からの眺め
右側に見えている高い塔はこの日上がった聖ヨハネ(聖ヨノ)教会の鐘楼、旧市街で一番高い塔です
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リトアニア大公宮殿
かつてのヴィリニュス城の下宮(下の城)の中心となっていた宮殿で、2013年に再建されたもの
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かつてのゲディミナス城から町を見下ろす鳥
カラスの一種のようです
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ネリス川と新市街
右端の山の手前、緑の先にちょっとだけ小さく見えているのは、この丘に上がる前に見学した聖ペテロ聖パウロ教会
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逆側のネリス川と新市街

ゲディミナス城の丘からの眺めを満喫したので丘を降りる。

下りも斜行エレベーター(ケーブルカーのようなもの)を利用する。

上の乗り場から斜行エレベーターを見下ろす

下りは歩く人が多いのか貸し切り状態で、快適に下まで戻ることが出来た。

次はネリス川の支流であるヴィリニャ川の対岸にあるウジュピス地区へ向かう。

この銅像はリトアニア大公宮殿前の広場に建つゲディミナス大公像

このページの上のほうに書いた内容と一部重複しますが、ゲディミナス大公の在位期間は1316年から1341年までの25年間と長く、その間リトアニア大公国は発展し領土を拡大していったのだそう
在位中の1323年にはヴィリニュスに遷都しています

この直前に上がっていた丘の上に建つかつてのヴィリニュス城の塔は、ゲディミナスが亡くなった後かなり経ってから造られているものなのだけれど、大公にちなんでゲディミナスの塔と呼ばれています

この銅像、少し離れた場所から撮った写真で角度が悪く、大公が馬に押されて崖から落ちそうになっているシーンに見えてしまいますが、実際は馬を従えて剣をかざしている像です

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ヴィリニュスの旧市街の路地
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花で彩られているヴィリニャ川に架かる橋
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ヴィリニャ川に架かる橋を渡った先がウジュピスという地域になる。ウジュピスとはリトアニア語で川の向う側、川の対岸といった意味なのだそう。

この地域はヴィリニャ川の対岸にあるのだけれど、ヴィリニャ川は大きく蛇行しているのでぽっこりと旧市街に食い込んでいる。
15世紀頃から労働者や職人が住むようになったものの16世紀までは川に橋が架けられていなくて旧市街からは隔てられた地域だった。
そして橋が架けられた後もあまり発展することはなく、建物は老朽化していき空き家が増えそのまま放置されていたのだけれど、20世紀の終わり頃には、その雰囲気が好まれ芸術家などが住むようになっていき、その芸術家が集う自由な雰囲気からパリのモンマルトルのようだといわれることもあったらしい。

ウジュピス地区はずっと治安の良くない地域とされていたのだけれど、少しずつアートに関するイベントなども開催されるようになり街並みも美しくなっていき、1997年4月1日にはウジュピスで暮らす芸術家のグループが独自の憲法や国旗などを制定しウジュピス共和国として独立を宣言した。
このウジュピス共和国は他国から承認された国ではないのだけれど、大統領もいるし内閣もあるし非公式の通貨もあるらしい。

ウジュピス共和国の国章
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ウジュピス共和国の通りの壁には、共和国の憲法が様々な言語に翻訳されて掲げられています
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日本語もあります
41項目ありました
なかなか面白い条文が多いです
犬や猫に関するものも

上の写真に写っていませんが最後の3つは
39.勝つな
40.やり返すな
41.でも降参するな

憲法を見た後、もう少しウジュピス共和国内を歩いてみる。

→ 次も、ウジュピス共和国

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